霊源皇寺墓苑
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朝日放送でCM放映中
さくら樹木葬

気品を漂わせる優雅な空間

さくら樹木葬からは比叡山が一望。
落ち着いた雰囲気の中でゆっくりとお参りしていただけます。

さくら樹木葬の安心

和

陽だまりの樹のもとに
和みの時間を永遠に…

新しい庭園型の永代供養合葬樹木葬です。
改葬されることなく、永遠にこの地でご供養させていただきます。

nagomi
なごみ価格

和(なごみ)の安心

  • 墓じまいの負担もありませんので子孫に全ての負担がなくなります。
  • 上記の金額以外他に掛かる費用はございません。(納骨時 お付き合いしているお寺様や他寺へのお布施は別途)
ガーデニング樹木葬

広々とした霊苑からは大文字も一望

彩られた想いのカタチがここに集まっています。
ファミリータイプも好評です。

ガーデニング樹木葬の安心

京都市内で樹木葬をお探しなら
京都の「便利な公園墓地」

〒603-8841
京都市北区西賀茂北今原町41

周辺地図
電車 → お車の場合

地下鉄烏丸線
「烏丸御池」駅から20分
「北大路」駅から15分
「北山」駅から10分
地下鉄東西線
「二条」駅から20分
京阪本線
「出町柳」駅から18分
京福北野線
「北野白梅町」駅から18分

バス → 徒歩の場合

「西賀茂車庫前」バス停から徒歩で8分
※下記の停留所からバスで1本

霊源皇寺墓苑アクセス

霊源皇寺墓苑アクセス2

霊源皇寺墓苑アクセス3

西賀茂、五山送り火の船形山の東麓
清涼山霊源皇寺

清涼山と号する単立寺院で、寛永15年(1638)後水尾天皇が一糸文守(いっしぶんじゅ 仏頂国師)の為に一宇を建立し、霊源庵と称されたのが当寺の起こりである。寛文6年(1666)上皇は親しく臨幸され、庵を改めて寺号とし「清涼山・霊源寺」の勅願所となし、享保14年(1729)親しく当寺に行幸されたことがある。爾来、歴代皇室の厚い帰依を受け、今日に至っている。

什宝には下賜の御物、文守関係の墨蹟等を有する。現代の仏殿は単層、寄棟造り、桟瓦葺のむくり(上に向かって膨れている)屋根とし、堂内には本尊釈迦如来像および後水尾上皇・開山像を安置する。開山一糸文守は岩倉家の出身である為、同家と関係が深く岩倉尚具は明暦年間(1655-58)山県大弐・藤井右門と朝権回復を計って失敗し、当寺に蟄居し、さらに文久2年(1862)の秋には岩倉具視が朝権を蒙り、当寺において約一ヶ月落飾隠棲したことがある。現在境内には尚具の墓や具視の歯牙塚があり、明治維新史跡の一に数えられる。