樹木葬×幕末×鶴瓶師匠

いよいよ物語も佳境に入っているNHK大河ドラマ『西郷どん』。明治維新から150年となる2018年放送の57作目の大河ドラマです。

薩摩の貧しい下級武士の家に生まれ育った西郷隆盛(小吉、吉之助)の愚直な姿に、カリスマ藩主・島津斉彬が目を留め、西郷は斉彬の密命を担い、江戸へ京都へと奔走し、薩摩の重要人物となっていく。極貧の下級武士にすぎなかった素朴な男は、勝海舟、坂本龍馬、桂小五郎ら盟友と出会い、革命家へと覚醒し、やがて明治維新を成し遂げていく…。

その中でも、今回のドラマではクセの強いキャラクターとして描かれていた岩倉具視ですが、笑福亭鶴瓶師匠が演じたことでも話題になりました。

そんな幕末の歴史に名を刻んだ岩倉具視にゆかりのある、京都の霊源寺(霊源皇寺)というお寺をご存知でしょうか。

京都市北区西賀茂に位置しており、京都市内からはどこからでもアクセスが便利です。

賀茂川・大文字・比叡山を臨む四季折々の美しい自然環境に囲まれた清涼山霊源皇寺。

【寺歴・由緒】

西賀茂、五山送り火の船形山の東麓、清涼山と号する臨済宗の単立寺院で、寛永15年(1638)後水尾天皇が一糸文守(いっしぶんじゅ 仏頂国師)の為に一宇を建立し、霊源庵と称されたのが当寺の起こりである。寛文6年(1666)上皇は親しく臨幸され、庵を改めて寺号とし「清涼山・霊源寺」の勅願所となし、享保14年(1729)親しく当寺に行幸されたことがある。爾来、歴代皇室の厚い帰依を受け、今日に至っている。

什宝には下賜の御物、文守関係の墨蹟等を有する。現代の仏殿は単層、寄棟造り、桟瓦葺のむくり(上に向かって膨れている)屋根とし、堂内には本尊釈迦如来像および後水尾上皇・開山像を安置する。開山一糸文守は岩倉家の出身である為、同家と関係が深く岩倉尚具は明暦年間(1655-58)山県大弐・藤井右門と朝権回復を計って失敗し、当寺に蟄居し、さらに文久2年(1862)の秋には岩倉具視が朝権を蒙り、当寺において約一ヶ月落飾隠棲したことがある。現在境内には尚具の墓や具視の歯牙塚があり、明治維新史跡の一に数えられる。

霊源寺の外塀を見ると五本の白い線が入っております。これは皇族が出家して住職を務めた門跡寺院の土塀の壁面に、その証として5本の定規筋を引いたのが始まりだそうです。そこから、定規筋の数が寺の格式を示すようになり、5本線が最高格式を表すものとなったそうです。

そんな歴史と格式のある霊源寺に隣接する『霊源皇寺墓苑』は、本格的な樹木葬公園墓地となっており、ご来園頂いた皆様からは「静かで明るく開放的な空間」「園内からの眺めが素晴らしい」とご好評を頂いております。

霊園は閑静な住宅地にあり環境が良く、「好アクセス」「バリアフリー」「大型駐車場完備」とお墓選びで重要な立地条件が揃っております。24時間365日いつでも、また「宗教自由」でどなたでもお墓参り頂けるのも特長です。

一般のお墓の他に永代供養が付いた樹木葬は、桜(ソメイヨシノ)の木をシンボルとする『さくら樹木葬』、季節の花々に囲まれた『ガーデニング樹木葬』の2つのタイプをご用意しております。どちらのタイプの樹木葬も最終の「墓じまい+永代供養」が付いており、「完全個別納骨」「お手入れ不要」といった現代のニーズに応えたシステムになっております。

さくら樹木葬

更に『さくら樹木葬』に関しましては、年間の「管理料不要」で、後にかかる負担が一切なく、料金的にもお求め安くなっているのが特長の樹木葬です。オプションでは専用のプレートにお名前の彫刻と、永代供養までの埋葬期間の延長が可能です。

また、『ガーデニング樹木葬』は区画ごとに石碑があり、形や色のバリエーションも豊富で、お名前の他にもお好きな言葉やイラストなどが自由に彫刻可能です。

年間の管理料をお支払い頂いている間は永久的にお墓を残すことができますので、ご本人様、お子様、お孫様、ひ孫様の代…と、先々まで変わらずにお参り頂くことも可能です。

色とりどりの季節の花の手入れ、夏花冬花の入れ替え等も霊園で全て行いますので、いつでも綺麗な花に囲まれており、皆様からご好評を頂いております。

さて、12月に入りますと『西郷どん』もついにクライマックスへと向かってまいります。また、何かと忙しい師走の時期となり、外の気温はだんだんと下がってまいりますので、本格的な冬到来の前に皆様も『霊源皇寺墓苑』で樹木葬と幕末の歴史にふれてみてはいかがでしょうか。

毎週土・日・祝日は霊園現地で見学会を行っております。平日でも事前にご連絡頂けましたら、霊園のご案内をさせて頂いております。また、お墓に関するご質問などにもお答えさせて頂いておりますので、お気軽にお問合せくださいませ。皆様のご来園をお待ち致しております。

ちなみに、『西郷どん』で岩倉具視を演じられた笑福亭鶴瓶師匠の母校は京都産業大学で、霊源皇寺墓苑の園内から北東方向に臨むことができます。このことからも霊源寺は幕末にご興味のある方、また鶴瓶師匠のファンの方にとってもゆかりの多い、まさに「聖地」と言えるのではないでしょうか。

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