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霊源皇寺墓苑
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さくら樹木葬

落ち着いた優雅さ漂う外観は
羨望の中の桜を際立たせます

賀茂川のせせらぎに耳を澄まし、パノラマビューの眺望を楽しむ。桜の特等席でお参りとお花見を…

霊源皇寺墓苑
さくら樹木葬の安心

ガーデニング樹木葬

いろんな幸せがここに
集まっています

四季の花々に囲まれた2~4名様
ご納骨可能なハイグレードタイプも登場

霊源皇寺墓苑
ガーデニング樹木葬の安心

京都市内で樹木葬をお探しなら
京都の「便利な公園墓地」

烏丸線北山駅・府立植物園から車で10分
京都駅からでもアクセス良好

■電車→お車の場合

京都の主要の駅からバスで楽々お参りができます(乗換なし)

■バス→徒歩の場合

西賀茂、五山送り火の船形山の東麓
清涼山霊源皇寺

清涼山と号する臨済宗の単立寺院で、寛永15年(1638)後水尾天皇が一糸文守(いっしぶんじゅ 仏頂国師)の為に一宇を建立し、霊源庵と称されたのが当寺の起こりである。寛文6年(1666)上皇は親しく臨幸され、庵を改めて寺号とし「清涼山・霊源寺」の勅願所となし、享保14年(1729)親しく当寺に行幸されたことがある。爾来、歴代皇室の厚い帰依を受け、今日に至っている。

什宝には下賜の御物、文守関係の墨蹟等を有する。現代の仏殿は単層、寄棟造り、桟瓦葺のむくり(上に向かって膨れている)屋根とし、堂内には本尊釈迦如来像および後水尾上皇・開山像を安置する。開山一糸文守は岩倉家の出身である為、同家と関係が深く岩倉尚具は明暦年間(1655-58)山県大弐・藤井右門と朝権回復を計って失敗し、当寺に蟄居し、さらに文久2年(1862)の秋には岩倉具視が朝権を蒙り、当寺において約一ヶ月落飾隠棲したことがある。現在境内には尚具の墓や具視の歯牙塚があり、明治維新史跡の一に数えられる。