施設のご案内

北区 西賀茂
京都市内からはどこからでもアクセスが便利で賀茂川・大文字・比叡山を臨む自然環境は四季折々の美しい姿をみせてくれます。
大切なあの人に…逢いたい時に逢える環境、人に優しく、上質で綺麗な空間!そんな待望の公園墓地をご案内させて頂きます。
田舎のお墓を整理して近くでお参りしたい…そんなお悩みも、永代供養完備なので墓じまいも応援します。

霊源皇寺コラム

2018.11.27「樹木葬×幕末×鶴瓶師匠」
2018.12.22「霊園の冬花」

霊源皇寺苑内

清涼山霊源皇寺 寺歴・由緒
西賀茂、五山送り火の船形山の東麓、清涼山と号する臨済宗の単立寺院で、寛永15年(1638)後水尾天皇が一糸文守(いっしぶんじゅ 仏頂国師)の
為に一宇を建立し、霊源庵と称されたのが当寺の起こりである。寛文6年(1666)上皇は親しく臨幸され、庵を改めて寺号とし「清涼山・霊源寺」
の勅願所となし、享保14年(1729)親しく当寺に行幸されたことがある。爾来、歴代皇室の厚い帰依を受け、今日に至っている。
什宝には下賜の御物、文守関係の墨蹟等を有する。現代の仏殿は単層、寄棟造り、桟瓦葺のむくり(上に向かって膨れている)屋根とし、
堂内には本尊釈迦如来像および後水尾上皇・開山像を安置する。開山一糸文守は岩倉家の出身である為、同家と関係が深く岩倉尚具は
明暦年間(1655-58)山県大弐・藤井右門と朝権回復を計って失敗し、当寺に蟄居し、さらに文久2年(1862)の秋には岩倉具視が朝権を蒙り、
当寺において約一ヶ月落飾隠棲したことがある。現在境内には尚具の墓や具視の歯牙塚があり、明治維新史跡の一に数えられる。

霊源皇寺苑内
霊源皇寺苑内
霊源皇寺苑内
霊源皇寺苑内
霊源皇寺苑内

駐車場・屋外施設

大型駐車場

大型駐車場
大型駐車場

大型駐車場完備
墓地に隣接していますのでスムーズに、お参りが出来ます。

バリアフリー

バリアフリー
バリアフリー

◇スロープ ◇インターロッキング参道
苑内通路は幅広の段差がない安心設計です。

周辺環境

比叡山系

比叡山系を一望できる安らぎの空中公園墓地。

五山の送り火

大文字「五山の送り火」を臨む市内随一の好立地。

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